自分の居場所を求めて

僕は高校を卒業したとき。
大学へは進学せず、自分ひとりの力で生きることを
選択しました。

その話をする前に、少し時をさかのぼってみましょう。
2001年。僕が僕が15歳の頃からこの物語は始まります。

第一章 じっくりと考える
将来、どんな仕事につくのか。
大学で何を学ぶのか。
普通の人は直前になって悩み始めるのかもしれない。
でも僕は違った、
高校一年生のときからじっくりとそのことに取り組んでいたんだ。

これは「7つの習慣 最優先事項」という本から学んだ。
この本の中に「指定時間帯」という話があった。
一週間の予定を立てるときに。
毎週決まった時間を「何かのための時間」として
別枠で取っておく、というものだ。

僕は考えた末、「将来について考える」という枠を作る。
そして毎週金曜日の午後6時から30分間、そのことについて
考えることにしたんだ。
そのおかげで自分の進路について納得のいくまで
考え抜くことができた。
今振り返っても、僕の人生は本当に
素晴らしい本との出会いに恵まれたな、と感じる。

で、その時間の中で何を考えたのか。
少し思い出してみようか。

Q1 少しでも「なりたい」と感じる職業は何?

僕は進路パンフレットのような本を片手に、
思いつくまま書き出してみた。
プロサッカー選手
少年サッカーのコーチ(指導者)
小学校の先生
中学校の先生
無意味なものを削除して残ったのは
確かこんな感じだったと思う。

Q2 興味のある学問、学科は?

教育。教員養成。体育。地球環境など。

Q3 じゃあ具体的に、どの大学へ行ってみたい?

とりあえずレベルの高い学校から順番に、その学部のある
大学のリストを見ていった。
いろいろ調べた末、東京学芸大学と筑波大学がいいなと思った。
でも別に深く考えてはいない。
前者は国立大学で、東京にある教育(学校の先生養成)の学校だ
ということ。
後者は体育に力を入れていて、僕の叔父さんの出身大学であり
サッカーの井原選手、中山選手の母校だから。

こんな感じでマイペースに考え続けていた。

そして高校2年生のときの担任の先生との面談のときには
はっきりと「小学校の先生を目指す」と言っていた。
もうその頃には、将来についてのビジョンをしっかりと
描いていた。
第一希望はプロのサッカー選手。
でもなれる可能性は高くはないから、無理ならば学校の先生。
あるいはサッカーのコーチになろう、という風に考えていた。

第二章 新しい道を見つける
そして時は流れて2003年4月。
僕は高校3年生になった。
学校の雰囲気が、受験を意識した張り詰めたものへ変わった。

そのときまだ目標の大学を決めていなかったが、とりあえず
国立大学を目標にして、5教科7科目を勉強し始めた。
それと同時に具体的な大学の絞り込みを始める。
学校のホームページを読んでみたり、実際に見学に行ったりした。

すると少しずつ、違和感を感じ始めた。
違う。こっちじゃない。
そんな思いが、だんだん大きくなった。
ある時その迷いについてもっと耳を傾けてみると、
自分の中からこのような考えが浮かんできた。

「お前は模試(模擬試験)にあった大学・学部の一覧表を
見て何を感じた?
大学などどこへ行っても同じ。そう思わなかったか?
毎日学校へ行って、講義を受ける。
課題に追われ、テストに必死になる。
就職活動に懸命になり、どこかの会社に就職する。
転職、出世、リストラを繰り返し一生社会の駒として
扱われる人生を過ごす。
お前はそれでいいのか?
それよりも自分にしかない力を使って、自分にしか歩めない
人生を歩みたくはないか?」

そのことに気がついてから、僕は自分の周りを見回してみた。
すると、あった。
「自分だけにしかない力」が。

サッカーがうまくなるためにしてきた、無数の「考えての努力」。
サッカーの補助として学んだ、速読。記憶術。勉強法。
わらをもすがる思いで読みあさった、成功哲学および
「自力系オカルト」の知識。

※自力系オカルト…瞑想、座禅、催眠術、チャクラ、ヨーガ、
仙道、気功、超能力などの「自分の力を高める」「修行」に近い
分野のこと。
逆に魔術、予言、幽霊、UFO、宇宙人などの「他力」「自分以外
の何かにすがる」分野への興味はなかった。

そして一番大切だと思ったもの。
それはこれまでの「考えながらの努力」で身についた
「試行錯誤の技術」とでも言うべきもの。
実験を繰り返し、効率のいい努力を続ける力だ。

こういったものに気が付いた僕は、「できる」と感じた。
俺なら、可能だ。
自分の力で自分だけの人生を歩める。
心の底から、そう確信した。
これまで学んできた知識を使って、食べていくことができる。
たとえ無理であっても、それを目指して努力を続けられる。
冷たい暗黒の時代を通らなくてはいけないとしても、それを
耐えることができる。
なぜなら、これまでずっと耐えてきたじゃないか。
光の決して当たることのない、影の世界で。
光に当たることだけを目指して必死になって生きてきただろ?

そして僕は大学へ行かないという道を選んだ。
大学受験しか頭にない進学校に在籍する人間としては
珍しい選択肢だ。
これまで続けてきた努力の成果。
それをインターネット上で伝えていくことで生きていこう。
そう決めた。
たしか高校3年生の夏休みだったと思う。

第三章 その夢に向かって
新しい道が見つかってから、僕は今まで以上に必死になって
勉強した。

「お金を稼ぐには、どうしたらいいだろうか?」
そんな疑問に答えを出すため、ビジネスの本を読みあさる。
その結果として
60分間企業ダントツ化プロジェクト
「儲け」を生み出す「悦び」の方程式
「年間3万円で成功したスーパーインターネット通販
この3つをミックスさせたインターネットビジネスが
ベストだと分かった。

「ホームページ(HP)って、どうやって作るんだろう?」
そう考えて、HPの作り方を勉強した。
そしてアクセスアップや検索エンジン対策について
何冊もの本を読んだ。

「それだけでは生活が不安ではないか?」
もちろんそんな思いもあった。
そこで「お金」に関する本も読む。
株式投資。
不動産投資。
働く心構え。
貴重な知恵をいくつも学ぶことができた。

2005年2月頃にはついに
暮らしていけるだけの収入が入るようになった。
個人のホームページ運営で生計を立てる。
努力の成果として、そんな世界にたどり着いた。

第四章 暮らしの変化
ここまで「気持ち」「考え」のストーリーにばかり書いてきた。
だからここで現実生活の変化についても述べておく。

両親ともに学歴の高い家庭に育った僕は。
大学へ進学しないと親へ話した。
彼らは落胆し、ショックを受け、泣いた。
しかし、それでも僕は止まらなかった。
僕の進む道は、ここにしかなかったから。
これ以外の道へ進むということは、僕の過去を
全て否定するという意味だったから。

高校卒業という学歴でどこかへ就職できるような
学校(高校)ではなかった。
進学校だったので、進路は「大学へ進んでそこへ
丸投げ」に等しい扱いしか受けなかった。
サッカーに力を入れていた。
しかし僕はプロ選手になれるような実力はなかった。
その当時。

学校の勉強と並行して「読書による独学」を続けてきた
僕としては、大学で「ただ学校の勉強だけをしてきた」
同級生と同じ講義(授業)を受けるなんて想像も
できなかった。
レベルが、知識の質が違いすぎて退屈なだけだろうと
その当時の僕は予想した。

その後。
父はメールや手紙で「大学へ行け」と言ってきたり
僕の内気な性格についてのことで心療内科やカウンセリングを
受けさせたりした。
当時の母は何も言ってこなかったけれど、僕に対する態度の中に
ゆがみというか、はれものに触るような感覚を
感じるようになった。

高校卒業後も僕は家にい続けた。
そして2004年9月から東京都世田谷区のアパートを借りて
一人暮らしを始めた。

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次なる闇の中へ
生きていくことができたあと。
もっと大きな苦しみが待っていた。

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